2025.05.12ブログ:Yoshiizumiの部屋
他人事でいられるうちは、まだ本気じゃない
自分の中の「誰かがやればいい」を疑え
現場で起きている問題に対して、つい思ってしまう。
「なんで誰も気づかないんだろう」 「上が動かないと変わらない」 「もっとちゃんと決めてくれればいいのに」
でもそのとき、自分はどこに立っていた? 傍観者になっていなかったか?
「誰かがやればいい」と思っているうちは、変わらない。
本気で関わるっていうのは、「これは自分の問題だ」と思えるかどうかなんだ。
他人事でいられるうちは、まだ本気じゃない。
小さな違和感に、自分が動けるか
現場の空気がちょっとピリついてるとき。 あの人、なんか元気がないとき。 書類が何度もやり直されてるとき。
「ま、いっか」と思ってスルーするのは簡単だ。 でも、そういうときこそ“自分事”の出番だと思う。
「誰がやるの?」って考えたとき、「まず自分だな」と一歩踏み出せる人がいる。 それが現場の空気を変えていく。
大きなことじゃなくていい。 ひとこと声をかける、先に電話してみる、先回りして準備しておく。
その積み重ねが、「あの人がいるから大丈夫」という空気をつくる。 そしてそれは、気づいた人しかつくれない。
誰かの本気に、周りは動かされる
誰かが本気でやってる姿は、思った以上に伝わる。
口数が多くなくても、目の前のことに集中してる人には、現場の空気がついてくる。
「こんなにちゃんとやってる人がいるなら、自分ももう少し踏ん張ってみようかな」
そんなふうに、心を動かされる瞬間がある。
逆に、誰も本気を出してなければ、どこかで見切りをつける人も出てくる。
「どうせ誰も見てないから」「何を言ってもムダ」 そうやって、全体がなしくずしに崩れていく。
だからこそ、たったひとりの本気が、現場の歯車を回しはじめる。
やりきれてない自分も、ちゃんと見ておく
とはいえ、いつも本気でいられるわけじゃない。 疲れてるとき、うまくいかないとき、自分のことで精一杯なときもある。
そんなときは無理に背伸びしないでいい。
でも、「自分は今、逃げてるな」「ちょっと他人事になってるかも」 そんなふうに、自分の足元を見ておくことが大事だと思う。
本気じゃなかったと気づける人は、また本気に戻れるから。
「なんか気になる」を、見過ごさない
何かが気になる。何かが引っかかる。 でも、理由ははっきりしない。
そういうとき、たいてい“場”がSOSを出してる。
目に見えない小さなズレに気づけるのは、いつも“当事者”だ。 それを「気のせい」と流さない。
「自分の中のセンサー」を信じて、誰よりも早く動ける人が、現場を支えてる。
本気は、黙って見せるもの
「本気です!」って口で言ってるうちは、まだ甘いのかもしれない。
本気って、黙ってても伝わる。 むしろ、黙ってるくらいがちょうどいい。
手を動かす。目を配る。気にかける。やりきる。
そういう人がひとりいると、職場は変わる。
他人事でいられるうちは、まだ本気じゃない。
でも、自分事として動き始めた瞬間から、すでに“耕し”は始まってる。
まとめ
現場を変えるのは、制度やマニュアルじゃない。
「これは自分の仕事だ」「この空気を自分が守るんだ」──そんなふうに、自分事として受け止めて動き出す人の存在だ。
小さな違和感を見逃さない人、先に手を伸ばせる人、言葉にしなくても背中で示す人。
そんな本気の姿が、職場の雰囲気を少しずつ変えていく。
他人事ではなく、自分事として受け止められたとき、現場には小さな革命が起きる。
そのはじまりは、あなたの一歩から。

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