2025.04.18ブログ:Yoshiizumiの部屋
「課題の分離」で、人生がラクになる ――アドラーに学ぶ、他人の期待を背負わない生き方
他人の評価が気になるあなたへ
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どう思われてるか気になる
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嫌われたらどうしようって思ってしまう
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「なんでわかってくれないの?」と苦しくなる
そんなふうに、“他人”に心を揺さぶられてばかりの人へ。
まず伝えたいのは、
「それ、あなただけじゃないですよ」ということ。
そしてもうひとつ、アドラーのこの言葉を贈りたい。
「すべての悩みは、対人関係の悩みである」
― アルフレッド・アドラー
アドラーの名言の深さを、日常に引き寄せてみる
「人間関係に悩むのは当たり前」
――そう言ってくれる心理学者がいてくれるだけで、ちょっとホッとする。
けれどアドラーは、そこからさらに一歩踏み込んで、こうも言います。
「他者の課題に踏み込まない。他者にも自分の課題に踏み込ませない」
これは「課題の分離」と呼ばれる考え方。
一見シンプルだけど、めちゃくちゃ深いです。
「課題の分離」ってどういうこと?
たとえば、あなたが職場でAさんに対して
「こう言ったら傷つくかな?」
「もっとわかってくれたらいいのに」
「なんであの人、あんなふうなんだろう…」
――と思ったとする。
その瞬間、あなたの心は、Aさんの“課題”の領域に足を踏み入れているんです。
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自分がどう振る舞うか → あなたの課題
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相手がどう受け取るか → 相手の課題
アドラーは、それをしっかりと切り分けようと言います。
吉泉流・わかりやすく例えると…
課題の分離って、まるで心の境界線を引く作業です。
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「この線より内側は、私の責任」
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「この線より外側は、あの人の責任」
だけど私たちは、よくこの線を曖昧にしてしまう。
気づかぬうちに、他人の課題まで背負って疲れてしまう。
「嫌われないように…」
「ちゃんと説明しなきゃ…」
「誤解されたらどうしよう…」
その全部、他人の課題かもしれません。
ほんとうの「優しさ」は、踏み込まないことかもしれない
よく「気遣いができる人」って言われたいし、
「空気を読める人」になろうと頑張ってしまうけど、
アドラー的に言えば、それって時に“支配”にもなりうる。
相手の選択肢を奪ってしまうこともあるし、
“いい人”であろうとするあまり、自分を見失ってしまう。
「自分の課題を他人に預けてはいけない。
他人の課題も、自分が背負ってはいけない。」
これは、冷たいようでいて、すごく優しい言葉です。
それでも、他人と関わるのが人生
ここまで読んで、こんな声が聞こえてきそうです。
「でも…他人のことを気にせずには生きられない」
「一緒に暮らす家族やパートナーがいたら?」
「仕事でチームを組んでたら?」
わかります。私もそう思ってました。
でも、アドラーはこう言います。
「他者を信頼し、貢献する」
課題を分けながらも、信頼しあうことはできる。
自立しながら、つながることはできる。
つまり、**「くっつきすぎず、離れすぎず」**という、絶妙な距離感。
吉泉流:今すぐできる“課題の分離”3ステップ
① まず、自分の「境界線」に気づく
→ 「これは誰の課題?」と問いかけてみる
② 感情の“持ち主”を見極める
→ イライラしてるのは、相手?自分?どっちのもの?
③ 背負わない。預けない。
→ 相手の変化まで“自分の責任”だと思わない
おわりに:あなたがあなたであるために
アドラー心理学は、
「もっと他人とうまくやる方法」を教えてくれるのではなくて、
「もっと自分として生きる方法」を示してくれます。
だから今日も、こう言ってみてください。
「これは、誰の課題?」
「私は、どこまで責任を持つべきか?」
「この選択は、誰のためのものか?」
自分を責めすぎてしまう人ほど、
優しさが強すぎて、自分を置き去りにしがちだから。
どうか、あなたの心に線を引いてください。
その線は、誰かを拒むためではなく、自分を守るための線です。

そして、その線の内側で、あなたはのびのびと生きていい。
