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2026.02.11ブログ:Yoshiizumiの部屋

人間という矛盾の存在

「人間は自分が思っている以上に道徳的で、
自分が想像しているよりもはるかに不道徳な存在です」──このフロイトの言葉には、
人間の本質をえぐるような二面性が浮かび上がる。
善悪の狭間で揺れ動く人間の心を知り尽くした精神分析の父ならではの指摘である。

この矛盾は、一見すると理解しがたい。
しかし、少し立ち止まって日常を見つめ直すと、誰の中にもその二重性が潜んでいることに気づく。
私たちは道徳的なルールを大切にする一方で、それを破る誘惑にも屈しやすい──まさに「理想と現実のあいだ」に揺れる存在なのだ。

道徳的であろうとする自我

私たちは多くの場面で道徳的に行動しようと努める。
社会のルールを守る、困っている人を助ける、
嘘をつかない──これらの行動は、教育や文化によって内面化された道徳心から生まれる。

この道徳心は、自分の良心や理性と結びついた「超自我」によって形成されている。
フロイトの理論では、超自我は「こうあるべき」という社会的理想を体現し、私たちの行動に制御を加える役割を担う。
だからこそ、私たちは自分を善良な存在として認識し、そう振る舞おうとする。

想像以上に潜んでいる不道徳

ところが、同じ私たちの中には、時に驚くほど自己中心的で、欲望に忠実な部分も存在する。
見られていなければズルをする、匿名なら誹謗中傷を書き込む、感情的になれば暴言も吐く──そんな瞬間は誰しも経験がある。

フロイトはこれを「イド(エス)」──無意識の欲求や衝動の領域と呼んだ。
人間の奥底には、原始的で制御不能な欲望が渦巻いている。
その存在を忘れてしまえば、自分の不道徳さに無自覚なまま、他者を裁く側に回ってしまう危うさすらある。

道徳と不道徳の狭間にある真実

私たちが本当に道徳的であるためには、まず自分の中にある不道徳さを認める必要がある。
完璧な善人など存在しないし、存在しようとすること自体が傲慢なのかもしれない。

むしろ、自分がいかに未熟で、感情に流されやすく、利己的な面を持っているかを受け入れるところから、
人間らしい道徳が始まる。それは抑圧や偽善ではなく、自己理解に基づいた誠実な行動へとつながる。

矛盾を抱えることこそ、人間らしさ

フロイトの言葉は、人間を「善か悪か」で単純に分けることの危険性を教えてくれる。
私たちは道徳的であると同時に、不道徳な可能性を常に内包している。
大切なのは、その矛盾を否定することではなく、意識的に見つめ、対話し、選択していく姿勢だ。

「私は大丈夫」と思った瞬間にこそ、盲点が生まれる。
だからこそ、自分の中の光と影の両方を見つめる勇気が、人間的な成熟をもたらす。
道徳を語るには、まず自分の不道徳と向き合うことから始まるのだ。

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