2026.01.29ブログ:Yoshiizumiの部屋
恩をあだで返すやつ
人間関係を長く続けていると、一度や二度は出会ってしまうもの──それが「恩をあだで返す人」です。
信じて助けた相手に裏切られることほど、心を深く冷やすものはありません。
特に、相手が困っているときに手を差し伸べたにもかかわらず、
後になってその親切がなかったかのように扱われたり、
むしろ自分が悪者にされたりする場面には、やりきれなさと怒りが同居します。
このような裏切りに対して、どう向き合えばよいのか──それが本稿の主題です。
恩が通じない人の特徴
恩を感じ取れない、もしくは感じ取っても行動に反映できない人には、いくつか共通点があります。
第一に、自己中心的な価値観を持っている人。
他人の行為を「当然」と受け取り、自分がしてもらったことの重みを理解しようとしません。
そのため、感謝の言葉一つなく、あるいは恩に報いようとする姿勢も見られないまま、関係性を消費していきます。
第二に、過去よりも現在の自分の立場や感情を優先する人。
かつての恩義より、今この瞬間の不満や不都合が勝ると、その恩義を切り捨てることに躊躇がない。
第三に、対等な人間関係を築けない人。
恩を受けること=上下関係と誤解し、受けた側でいる自分に耐えられなくなって、恩を否定するような行動に出ることがあります。
傷ついた心の対処法
恩をあだで返されたとき、怒りや悲しみを抑えるのは容易ではありません。
しかし、その感情に囚われ続けることは、自分自身の人生の質を落とすことにもつながります。
まず大切なのは、「恩を返さない人」の存在を自分の責任と混同しないことです。
その人の在り方は、その人の問題です。あなたが誠実に尽くしたことは、誰にも奪われない“事実”です。
次に、距離を取ること。心理的・物理的な距離を設けることで、心のざわつきは徐々に収まっていきます。
距離は怒りではなく、自分を守るための境界線です。
そして最後に、別の誰かとの関係性に目を向けること。
信頼に足る人は必ずいます。
ひとりの裏切りに囚われすぎず、他者との新たな繋がりに意識を向けることが、回復への一歩になります。
なぜ人は裏切るのか
心理学的に見ると、「恩をあだで返す」行動は、自己防衛や劣等感からくることも少なくありません。
誰かに助けられた経験が、自分の未熟さや弱さを突きつける鏡になるとき、
人はそれを直視できず、攻撃や否定というかたちで跳ね返すことがあります。
これは未成熟な自我の反応であり、相手の悪意というよりも、自分の脆さへの拒絶と見るべきかもしれません。
また、恩を受けた記憶を「都合の悪い過去」として処理し、
現在の自分にとって邪魔になるものとして排除しようとするケースもあります。
いずれにせよ、そのような行動に出る人を変えることは極めて困難です。
だからこそ、関わる私たちは「どう距離を取るか」「どこに自分の心を置くか」を意識する必要があります。
仕返しは必要か
裏切られたとき、心のどこかで「仕返ししてやりたい」と思うのは自然な感情です。
けれど、その感情のままに動いてしまうと、結局は自分の中に「その人」を住まわせ続けることになります。
怒りは、長く抱えれば抱えるほど、自分を蝕む毒にもなりかねません。
仕返しよりも、「関わらない」「忘れる」「関係を再構築しない」ことのほうが、ずっと強く賢い選択です。
静かに離れ、自分の時間と心を他の大切なものへ注ぐ。それが、あなた自身の人生を守る道でもあります。

まとめ
恩をあだで返す人に出会ってしまったとき、傷つくのは当然です。
けれど、その傷を抱えたまま前に進むこともまた、私たちの力の一部です。
他者の在り方に惑わされず、自分の誠実さを信じ、自分の人生にとって本当に必要な人と繋がっていく。
その選択こそが、裏切りを超えていく力になります。
最後に。
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