2026.01.27ブログ:Yoshiizumiの部屋
初歩と基礎を習得するまで、王道は控える
「王道」と呼ばれるやり方やスタイルは、たしかに美しい。洗練され、最短距離でゴールにたどり着くように見える。
でも、それは“土台”があってこそ成立する。
初歩や基礎を飛ばして王道を真似しても、それは見よう見まねの模倣にすぎない。
むしろ、自分の実力以上のことをしようとしてつまずく原因になる。
王道には“前提”がある
一流の職人やプロフェッショナルが使っている手法には、何万回と繰り返された初歩の積み重ねがある。
料理人が「計量しない」で味を決めるのは、基礎を叩き込まれているから。
アスリートが独自のフォームを貫けるのは、基本を極めているから。
その“自由”は、初歩を超えた先にしか許されない。
初歩をなめると、壁にぶつかる
基礎を飛ばして王道に憧れると、表面だけをなぞることになる。
「なんとなくそれっぽい」けれど、中身が伴っていない。自分でもどこか違和感を感じて、やがて自信をなくす。
土台がないまま積み上げたものは、いつか崩れる。
だからこそ、最初は遠回りに見えても、“当たり前のことを当たり前にできる”ことの方がよほど価値がある。
初歩は「退屈」ではない
基礎練習や基本動作は、ともすれば単調でつまらなく感じる。
けれど、それを繰り返す中でしか得られない「感覚」や「型」がある。
“飽きるほどやる”という工程の中で、自分の中に「本物の精度」が宿りはじめる。
その時間が、あとで王道に挑んだときの“強さ”になる。
焦らない人が、最後に伸びる
何事も、伸びる人は「段階」を大事にする。
初歩を軽視せず、基礎を丁寧に積み上げる人は、後半に一気に伸びる。 それは派手ではないけれど、崩れない。
王道に走らず、基礎を固める自分を誇っていい。 その姿勢が、いずれ誰かの“王道”になる。
まとめ
初歩と基礎を徹底的に習得するまで、王道はあえて控える。
遠回りに見えても、それが一番の近道になる。
形に憧れるよりも、土台を耕す。華やかさよりも、確かさ。
“王道”とは、基礎の上に自分のスタイルを築いた者だけが歩める道なのだ。
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