2025.12.08ブログ:Yoshiizumiの部屋
ご相談から
– 誰かの問いは、誰かの光になる –
声をかけるという、最初の勇気
「こんなこと聞いていいのかわかりませんが…」
「誰にも話せなくて、でもどうしても聞いてほしくて…」
そうやって届く一通のメッセージやご相談には、言葉にできない勇気と葛藤がにじんでいます。
誰かに頼るのは、決して簡単なことではありません。
ましてや、心の中の不安やもやもやを言語化して、人に差し出すというのは、
時に傷つくリスクすら伴う「勇気ある行動」です。
そんな一歩を踏み出してくださる方の声に、私は何度も背筋を正されてきました。
その声はいつも、「教えるべき相手」ではなく、「一緒に考える相手」として、私を立ち止まらせ、問い返してくれるのです。
誰かの悩みが、自分の鏡になる
不思議なことに、ご相談をいただくと、こちらが「はっ」と気づかされることがあります。
まるで自分が過去に通った道の、忘れていた痛みを思い出させてくれるかのような、
あるいは今、自分の中にある“もやもや”に光を当ててくれるような感覚です。
「なぜ自分は、あのときああ思ったんだろう」
「どうして、こんなに焦っていたんだろう」
そんなふうに、自分の奥底に向き合うきっかけをもらえるのです。
人の相談に答えるというのは、「上からのアドバイス」ではありません。
むしろ、その人の声が、自分自身の内面に問いを返してくれるような、
まっすぐな“鏡”のような働きをしてくれるのです。
正解ではなく、「一緒に考える」姿勢が支えになる
ご相談をいただくたびに意識しているのは、
「何が正しいか」ではなく、「何が今のその人にとってしっくりくるか」を一緒に探すことです。
私自身、「正論」で傷ついた経験があります。
「もっとこうすればいいじゃない」
「あなたの考え方が間違ってるよ」
たしかに正しいのかもしれない。けれど、今の自分には届かない。
そんな冷たい“正しさ”よりも、今のその人の温度に寄り添った“まなざし”の方が、ずっと心を動かします。
相談する人は、答えを求めているようでいて、本当は「今の自分でいいと思える一歩」を探しているのだと思うのです。
だからこそ、相談に応える側も「導く」のではなく、「隣に立つ」。
その姿勢こそが、相談者の背中をそっと押す力になるのだと感じます。
「聞いてくれてありがとう」で十分なときがある
相談の中には、「結局、何も解決してないような気がする」と感じるやりとりもあります。
けれど、やり取りが終わったあとに
「聞いてもらえただけで、気持ちが軽くなりました」
という言葉をいただくことが、何より多いのです。
私たちはつい、「何か答えを出さなきゃ」と思いがちですが、
多くの場合、誰かに“まるごと受け止めてもらえた”という実感こそが、最も癒しになるのです。
アドバイスではなく、肯定。
分析ではなく、共感。
「聞いてくれてありがとう」で終わるやりとりが、
その人の心を明るい方へ向ける、小さなスタートになることがあります。
ご相談が、言葉を育ててくれる
私が文章を書き続けられるのは、ご相談をくださる方がいるからです。
日々の中で起きたこと、心が揺れた瞬間、それを言葉にして誰かに届けようと思えるのは、
その「誰か」の存在が確かにあるからです。
相談を受けて、私自身が気づき、学び、言葉を編んでいく。
それが読者の心にまた届き、また別の相談が生まれる。
そんな、やさしい循環が生まれていくことを、とてもありがたく思っています。
だからこそ、私はこれからも「相談される人」であり続けたいと思います。
それは「頼られる存在」ということではなく、
「一緒に考える姿勢を持ち続ける人間でありたい」という願いです。
まとめ
ご相談は、誰かの勇気ある一歩であり、その人の人生の一部を預けてもらう時間でもあります。
だからこそ、正解よりも、共に考えること。
導くよりも、隣でうなずくこと。
それが、人の心を整える力になると、私は信じています。
そして、相談される側もまた、相談によって整えられていく――
そのあたたかな往復が、少しずつ日々を明るく照らしてくれます。
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