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2025.08.28ブログ:Yoshiizumiの部屋

ハラってつくもの、たいてい旨い説

気づけばこの世は“ハラだらけ”

最近の世の中、「〇〇ハラ」が多すぎる。
パワハラ、モラハラ、スメハラ、リスハラ、果てはカスハラまで。
もはや、息をするだけで何かしらのハラスメントに引っかかりそうだ。

いや、もちろん本当に深刻な被害もある。軽く笑い飛ばしていい問題じゃないのは承知している。

でも、ちょっと思うのだ。

この「〇〇ハラ」という言葉たち、最近ちょっと乱用されすぎじゃないか?
何でもかんでもラベリングして、“加害者か被害者か”に二極化してしまっている気がする。

そんな時、ふと思った。

「“ハラ”って、もともとそんな悪いやつだっけ?」

 

 

ハラって、本来めちゃくちゃ旨い件について

“ハラ”と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは——焼肉のハラミ
あの柔らかさ。脂の乗り具合。噛めば噛むほどにじみ出る旨味。

さらに言えば、鮭のハラミ。脂がしたたる塩焼きはご飯3杯いけるやつ。
そして、はらみ……そう、いくら。

気づけば、

ハラってつくもの、だいたい旨いじゃないか。

言葉にしろ、食べ物にしろ、もっと「ハラ=うまい」って再定義してもいいんじゃないかと思ってしまう。

本来の“ハラ”は、人を攻撃する道具じゃなく、人を幸せにする成分のはずだったんじゃなかろうか。

ラベリング社会の苦味

最近の世の中は、「名前をつけること」に夢中だ。
それが悪いことだとは思わない。
名前があるから気づけること、声を上げやすくなることも確かにある。

でも、言葉が増えれば増えるほど、ちょっとした行き違いや違和感さえ、すぐに“ハラスメント”として認定されてしまう空気がある。

  • 「期待されたらプレッシャー」→ プレッシャーハラスメント
  • 「親切すぎる人」→ オセハラ(お節介ハラスメント)
  • 「気にかけなかった」→ ムシハラ(無視ハラスメント)

そのうち「マスク外したら違う顔だった」→ フェイスハラスメントとか言い出すんじゃないか。

それって、本当に“守るための言葉”なんだろうか?

「傷つけないための言葉」が、「自由に話せない空気」になってしまったら、本末転倒じゃないか。

言葉って、味わうもんだと思う

焼肉でも、人付き合いでも、焦げすぎない塩梅が大事だ。

強火で責め立てるような会話は、どんなに正論でもすぐに焦げる。
逆に、低温でじっくり火を通したような言葉は、心の奥まで届く。

「これってもしかして〇〇ハラかな?」と思った時、
ラベルを貼る前にちょっとだけ、相手の背景や、文脈や、トーンを味わってみる。

言葉って、“焼き加減”が命なんだ。

ハラミをよく噛むように、相手の言葉も一度咀嚼してみる。
一見スジっぽくても、味があることってあるから。

人間関係も、うま味成分でできてる

よく「人付き合いって難しい」と言うけれど、
それってつまり「うま味の出し方が違う」ってことなんじゃないだろうか。

肉も魚も、部位によって火の通り方や味の出方が違う。
同じように、人もタイミングや温度で変わる。

「この人、ちょっと苦手かも」と思う相手でも、
炭火でじっくり付き合ってみたら、めちゃくちゃ深い味出すことがある。

人間関係は、塩とタレと火加減。
焦らず、干さず、たまに返しながらじっくり育てる。

まとめ:おいしい人になって生きていこう

〇〇ハラと呼ばれる前に、ハラミでも焼きながら話そうよ。

言葉で相手を裁く前に、「それ、どういう気持ちで言ったの?」と聞ける余白がほしい。
そして、自分の言葉も「旨みある言葉」に育てていきたい。

誰かの心に、ちょっと染みる。あとから「なんか、あの人いい味してたな」って思われる。

そんな“おいしい人”になって生きていこう。

たいていの“ハラ”は、焼けばうまい。焦らなければ、味が出る。

それって、人生にも、けっこう当てはまる気がしません?

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