2025.07.11ブログ:Yoshiizumiの部屋
『その一面だけで、決めつけない。──モノゴトの“もうひとつの顔”に出会うということ』
それは、“誤解”から始まることが多い
「また言ってるよ」「わがままだな」「空気読んでくれよ」
日々のケア現場や人間関係で、そんな言葉がふと頭に浮かぶこと、ありませんか?
人はつい、目の前に現れた“わかりやすい顔”だけで、相手を理解したつもりになります。
でも本当は──その言葉の奥に、別の意味が潜んでいるかもしれない。
「帰る」と言った人は、「ここにいたくない」のではなく、「今、不安なんだ」と言っているのかもしれない。
「話したくない」と言った人は、「うまく言えない自分が恥ずかしい」だけかもしれない。
モノゴトには、必ず“もうひとつの顔”がある。
その視点に立てるかどうかが、私たちの支援の質を大きく左右するのです。
ケアは「想像力」の仕事である
「ケア=技術」ではないと、あらためて言っておきたい。
もちろん、移乗も、口腔ケアも、排泄支援も、日々の観察も、どれも専門技術だ。
でも、その前提にあるべきは「この人は今、どんな世界を生きているか?」を想像する力。
たとえば、ある利用者さんが「トイレ」と言う。
でもその後、実際にはトイレに行きたがらず、そのまま座っている──
これだけを見れば、「よくわからない行動」として片付けられる。
けれど、こんな風に考えたらどうか。
「“トイレ”と言うことが、誰かに自分を気にかけてほしい合図だったのかもしれない」
「“トイレ”と声を出せた自分を、確認したかったのかもしれない」
「“トイレ”という言葉が、今の安心材料になっていたのかもしれない」
想像することは、支援の精度を上げる。
そして想像したうえで「違ったな」と思ったら、また修正すればいい。
正解にたどりつくより、問いを立て続ける力こそが、ケアの本質です。
一つの言葉にも、複数の意味がある
私たちが交わしている会話の多くは、“文字通りの意味”ではありません。
たとえば…
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「大丈夫です」→「本当は少し辛いけど、気を使って言えない」
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「なんでもないです」→「なんでもあるんだけど、整理できてない」
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「行きたくないです」→「今日だけは怖い。でも全部を否定しないで」
言葉には、背景がある。
言葉には、事情がある。
だから、“聞いたことをそのまま受け取る”だけでは不十分なんです。
「もしかしてこういうことかな?」と、文脈や表情やその人らしさを重ねていくこと。
これが「共感」という技術です。
チームにも、感情の“読み解き力”がいる
ケアの現場は、ひとりではできない。
だからこそ、チームの中でも「見えている景色の違い」を認め合う必要があります。
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「○○さん、また無断で離席してる」
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「いや、あれはあの人なりのSOSなんだと思う」
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「前回のケースもそうだったね」
このように、「感情の解釈を共有できるチーム」は、信頼も深まっていく。
逆に、「あの人はこういう人」と思い込みが固定されていくと、ケアは“作業”になります。
毎日をともにする仲間だからこそ、お互いに「そう感じた背景」も大事にしたい。
それが、思いやりというより“戦略”です。
自分自身にも、いろんな顔がある
これは、利用者や仲間だけの話ではありません。
私たち自身もまた、「自分はこういう人間」と思い込んでいませんか?
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「私は感情をうまく言葉にできない」
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「リーダーには向いてない」
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「もっとちゃんとしなきゃいけないのに」
──そう思う日があってもいい。
でも、あなたの中にもまだ知らない側面がたくさんある。
悩んでるときも、ふと誰かの支えになっていたり、
黙っていた日も、誰かに「そばにいてくれて助かった」と思われていたり。
あなたは、あなたが思っている以上に、多面的で、価値ある存在です。
まとめ:「問い」が、関係を深める
問いを持つこと、それは「その人のもう一つの顔に出会う」ための鍵です。
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「どうしてこう言ったんだろう?」
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「本当は、どうしたかったのかな?」
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「私ができることは、なんだろう?」
この問いの習慣が、信頼を育て、
その信頼が、現場の空気を柔らかくし、
その柔らかさが、変化を生みます。
誰かを“わかった気になる”のではなく、
「わかろうとし続ける姿勢」が、最高のプロフェッショナリズムなのだと思います。

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