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有限会社ティー・エス

2025.04.23ブログ:Yoshiizumiの部屋

わたしはわたしでいられるか ──“ダス・マンの声”から離れるために

ダス・マンは、やさしい顔で近づいてくる

「みんなそうしてるよ」
「これが普通だよ」
「こうすべきだよね?」

こんな声に、わたしたちは毎日のようにさらされている。
押しつけでも命令でもない。むしろ、やさしさや思いやりのような顔をして近づいてくる。

でもその実態は、“ダス・マン”──誰でもなく、みんなであり、誰の責任でもない空気

気づけば、誰かの正しさに巻き込まれ、
「それっぽい自分」を演じて、
「正しく在ること」を優先してしまう。

「らしさ」が奪われる瞬間

「ちゃんとしてるね」と言われると、どこかホッとする。
「よくやってるね」と言われると、少しうれしい。
でもそのうち、それが“呪い”になることがある。

「ちゃんとしなきゃいけない」
「いい人でいなきゃいけない」
「わたしらしく、なんて言ってられない」

本当の“わたし”が、だんだん見えなくなっていく。
そんな感覚を、私は何度も味わってきた。

気づかないうちに“誰かの物語”を生きている

他人の期待に応え、
職場の空気を読んで、
家庭では「母」「妻」「娘」として役割を果たす。

気づくと、「誰かの物語の中にいるわたし」ばかりになっていた。
その物語の脚本は、私が書いたものじゃないのに。

夜ふと、「これって本当にやりたかったことだっけ?」と思う。
でも忙しさや人間関係の中で、
その問いすら見えなくなっていく。

「選び直す」ことは、こわい。でも自由。

ダス・マンに引き込まれそうになるとき、
私は、心の中で自分に問いかける。

「それって、ほんとに私が選んでる?」
「やめても、きっと大丈夫じゃない?」
「わたしは、わたしを生きてる?」

この問いは、
“今までの安心”を揺さぶるから、こわい。
でも同時に、わたしを取り戻す自由でもある。

選び直すってことは、
“今の自分”を信じ直すってこと。

わたしがわたしであるための“静かな抵抗”

今日も、たくさんの「空気」や「期待」に囲まれて過ごしている。
でもそのなかで、たとえ小さくても、
“自分で選ぶ”という意志を持ち続けたい。

何を食べるか。
どこに行くか。
どんな言葉を選ぶか。
誰と笑うか。

そんな日々の小さな選択が、
「わたしは、わたしでいい」と思える土台をつくっていく。

それが、私にできる“ダス・マンへの静かな抵抗”だと思う。

まとめ

「らしさ」を奪われるのは、一瞬。
でも、「わたしに戻ること」は、いつでもできる。

ダス・マンは、やさしくて、力強くて、しつこい。
でも、わたしの中にある小さな声も、たしかにある。

今日は、その声を聞いてあげてほしい。
そして、こうつぶやいてみて。

「わたしは、わたしの物語を生きている」って。

「わたしは、わたしを生きる」って決めた翌朝、
まずやったのは、目玉焼きを半熟にすることでした。
……それくらいで、いいのかもしれないね。うん。

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