2025.03.25ブログ:Yoshiizumiの部屋
それやぁ生きてれば、イラっとするときもあるさ
イラっとすることは悪いことじゃない
生きていれば、どうしたって「イラっと」する瞬間は訪れる。
誰かの何気ない一言、予期せぬ出来事、あるいは自分自身のミス――理由は様々だけれど、
日常の中で私たちは頻繁に小さなストレスと遭遇する。
つい最近も、状況にある状況に、内心イライラを感じていた。普段ならば冷静に対応できるはずなのに、
その日に限って妙に心がざわつき、言葉が少し棘のあるものになってしまった。
そんな自分に後で気づき、またイラっとする。悪循環だ。
だけど考えてみれば、そんなことは誰にだってあるのだ。
イライラは心の信号
私が思うに、イラっとする感情は心が送る大切な信号だ。「何かがうまくいっていない」「自分の思いや価値観が否定された気がする」、
あるいは単純に「疲れている」、そんなサインを心が知らせてくれているのだ。
イライラを感じた時、それを無視したり押し殺したりするのではなく、「なぜ自分は今イラっとしているのだろう?」と
自分自身に問いかけることが大切だと最近つくづく思う。
実際にそうやって問いかけてみると、自分が本当に求めているものや、大切にしている価値観が明確になることが多い。
イラっとする瞬間は、むしろ自分を知る良いチャンスでもある。
イライラの正体を見つめる
ある日のこと、私はスーパーで買い物をしていた。レジの列に並んでいると、後ろの人が無言でぐいぐいと距離を詰めてきた。
その時感じた些細なイライラを、「急いでいるからイライラする」と考えるのではなく、
「自分はパーソナルスペースを侵されることが嫌なのだ」と気づくことで、随分と気持ちが楽になった。
こうして感情の正体をはっきりさせると、自分が次にどう行動すればよいかも明確になる。
言葉にしなくても自分の感情をしっかり認識することで、心は驚くほど落ち着きを取り戻すのだ。
イラっとすることに罪悪感はいらない
私たちはよく「イライラする自分は良くない」と感じてしまいがちだ。
しかし、イラっとすること自体に罪悪感を覚える必要はまったくないと思う。
誰もが感情の波を持っている。それは人間として自然なことで、感情を完全にコントロールするのは不可能に近い。
それよりも、イラっとした感情を受け入れ、それを次の行動や改善につなげる方がよほど健康的だ。
イライラを味方にする方法
イラっとした時に私が実践していることがある。
一呼吸置いて、自分に問いかけるのだ。「今このイライラは何を教えようとしてくれているのか?」
すると、たいてい答えが見つかる。例えば、「もっと余裕を持つべきだよ」とか
「周囲の期待に応えようとしすぎているんじゃない?」といった具合だ。イライラは自分を改善するヒントをくれることが多い。
実際、私自身もイライラした時ほど大切な気づきを得ることが多く、その度に少しずつ成長できている気がする。
イライラとの上手な付き合い方
完璧を目指しすぎるとイライラは増えていくばかりだ。
大切なのは、イライラを排除することではなく、それとうまく付き合う方法を身につけることだと思っている。
その一つの方法が、少しだけ「客観的になる」ことだ。自分のイライラをまるで他人事のように眺めてみる。
「ああ、今私はイライラしているな」と、自分自身を冷静に観察する感覚だ。
客観視することで、不思議とイライラの勢いが弱まり、自分が何に本当に反応しているのかがクリアになる。
生きていれば、イラっともするさ
そもそも完璧に穏やかな心で毎日を過ごすなんて、どこか非現実的だ。
生きている限り、イラっとすることはある。だからこそ、その瞬間にどう向き合うかが大切になる。
自分自身がイライラを感じていることを認め、なぜそう感じるのかを掘り下げていく。
その作業を繰り返すことで、自分の内側にある「本当に大切なもの」に気づくことができる。
イラっとすることは悪いことじゃない。それは、生きている証拠であり、成長へのきっかけなのだから。
まとめ:イラっとは成長の種
イラっとする瞬間を避けることは難しいが、その感情に飲み込まれず、上手く付き合っていく方法を身につければ、
それはむしろ人生を豊かにしてくれる。イライラすることは、自分自身をより深く知るための「成長の種」。
これからもその感情を大切に扱っていきたい。
おだやかにぃ~ 深呼吸