2025.03.07ブログ:Yoshiizumiの部屋
本当の気づかいとは?
気づかいとは、ただ単に相手に合わせることではない。
「気をまわしすぎて疲れてしまう」「相手の顔色をうかがいすぎてしまう」——そんな人ほど、気づかいを履き違えている可能性が高い。気づかいとは、決して“自己犠牲”ではない。むしろ、もっと健全で、もっと主体的な行為であるべきだ。
今回は、そんな「気づかい疲れ」している人に向けて、“本当の気づかい”とは何かを語っていこう。
1. 気づかい=相手に従うことではない
気づかいと聞くと、「相手の希望を察して、それに応えること」と考える人が多い。
もちろん、思いやりのある行動は素晴らしい。
だが、「相手が求めていることを察し、何が何でもそれに応じようとする」のは、気づかいではなく“迎合”だ。
たとえば、飲み会で上司が「お酒、飲めるよね?」と言ってきたとしよう。あ
なたはお酒が苦手だが、「ここで断ったら空気が悪くなるかも……」と考えて、無理に飲んでしまう。
これが気づかいだと思っている人が多いが、それは単なる自己犠牲でしかない。
真の気づかいとは、「私は飲めないので、お水をいただきます」とさらっと伝えつつ、場の雰囲気を壊さない工夫をすることだ。
つまり、「自分の意思を大切にしつつ、相手への配慮を忘れない」のが、本当の気づかいである。
2. 相手の顔色をうかがう=相手のためになっていない
相手の顔色をうかがう人の多くは、「相手を不快にさせたくない」という気持ちから行動している。
しかし、相手の顔色ばかり気にしていると、本来のコミュニケーションが成立しなくなる。
たとえば、友人が明らかに無理をしているとき。「頑張っているのはすごいけど、本当に大丈夫?」と声をかけたいけれど、
「余計なお世話かもしれない」と躊躇してしまう。そして、結局何も言わずにやり過ごす。
これは、一見気づかいに見えるが、実は逆だ。相手の顔色をうかがうあまり、本当に必要な言葉を届けられていない。
気づかいとは、相手を不快にさせないことではなく、本当に相手のためになることを考えることだ。
だからこそ、時には言いにくいことも伝えるべきだ。「大変そうだけど、無理しすぎないでね」と声をかける。
それが、本当の気づかいなのだ。
3. “気を使う”ではなく“気を配る”
「気を使う」という言葉がある。だが、この表現にはどこか疲れるニュアンスがある。
常に気を張っていなければならないような、消耗するイメージだ。
一方で、「気を配る」はどうだろう?
これは、自分の余裕の範囲で、自然に相手に気を向けるという意味に近い。
無理に相手に合わせるのではなく、「自分のできる範囲で心を配る」。この違いは大きい。
たとえば、職場で誰かが困っていそうなとき。「助けてあげなくちゃ!」と無理をして手伝うのが“気を使う”。
一方で、「自分の仕事に余裕があるから、少しだけサポートできるかも」と考えるのが“気を配る”だ。
気づかいは義務ではない。あくまで、自分に無理のない範囲で行うものだ。
4. 「本当の気づかい」は、自分自身にも向ける
気づかいができる人ほど、他人のことばかり考えてしまう。そして、自分自身を後回しにしてしまう。
だが、本当の気づかいができる人は、自分にも気を配る。
たとえば、「今日は疲れているから、少し休もう」と自分をいたわることも、立派な気づかいのひとつだ。
周囲に気を配りながらも、自分を犠牲にしない。それができて初めて、本当の意味で“気づかいのできる人”と言えるのだ。
まとめ
気づかいとは、
- 相手の顔色をうかがうことではなく、必要な言葉を伝えること。
- 自分を犠牲にして相手に合わせることではなく、自分の意思を尊重しながら相手を思いやること。
- 「気を使う」のではなく「気を配る」こと。
- 他人だけでなく、自分自身にも気づかうこと。
本当の気づかいができる人は、他人にも自分にも優しくなれる。
気づかい疲れしてしまう人こそ、一度立ち止まって「本当の気づかい」とは何かを考えてみてほしい。