2025.03.04ブログ:Yoshiizumiの部屋
「わざわざ悩みというのを創造していないだろうか?」
人間は実に器用な生き物だ。
便利さや快適さを求めて努力する一方で、自らの手で悩みを創り出してしまうことにも非常に長けている。
悩みがないと逆に不安になり、新たな問題を探しては自分を苦しめる。これはもはや現代病と言っても過言ではない。
悩みのない人生など存在しない。それは確かに真実であるが、
ここで言いたいのは、「本当に存在する悩み」と「自分で創造した悩み」は、まったく性質が異なるということだ。
前者は人生を前進させる推進力になり得るが、後者は単に自己破壊的なエネルギーの浪費に過ぎない。
多くの人は、他人と比較することで不要な悩みを創り出す。
SNSを覗いては「あの人はあんなに幸せそうなのに、私はどうだ」とため息をつく。
だが、SNSで見る他人の人生はフィクションに近い。
美しく加工された写真、幸せな瞬間だけを切り取った投稿――それを「現実」として受け取り、
自分のありのままの人生と比べて落ち込むのは、まさに愚の骨頂である。
また、完璧主義が災いして、自らを追い込む人もいる。
完璧など幻想だと頭では理解していながらも、少しでも欠点がある自分を許せない。
誰にも頼まれていないのに「もっとできるはずだ」「こんなこともできない自分は価値がない」と、延々と自己否定の海に沈んでいく。
はっきり言おう、誰もあなたに完璧を求めていない。求めているのは自分自身だけだ。
さらに言えば、まだ起きてもいない未来の問題をわざわざ想像しては、自らの首を絞めるパターンもよくある。
「もし仕事で失敗したら」「もし病気になったら」「もし人に嫌われたら」――無限に湧き出る「もしも」の連鎖に心が支配され、
本来あるべき今という瞬間を生きる力を失ってしまう。
これらの「創造された悩み」が厄介なのは、それがまるで本当の問題であるかのようにリアルに感じられることだ。
そのリアリティゆえに、人は問題解決という名のもとにさらに悩みを増幅させる。
実際には問題など存在しないのに、ありもしない敵と必死に戦い、勝手に疲弊していく。これほど馬鹿馬鹿しいことがあるだろうか。
では、どうすれば無駄な悩みから自由になれるのか。
答えはシンプルだが、それを実践するには覚悟が必要だ。
「悩むこと自体を目的にしていないか?」と自分に問いかけてみることだ。悩んでいる状態はある意味安心である。
なぜなら行動しなくて済むからだ。「自分は問題に取り組んでいる」と錯覚し、努力しているつもりになるが、実際には何もしていない。ただ自分を苦しめることで、何かをした気になっているだけだ。
この自己欺瞞から抜け出すには、自分の中の「悩み好き」をきちんと認めることが必要だ。
自分が悩むことに快感を感じている可能性を直視しよう。これは不快だろうが、真実だ。
そして自覚した瞬間から、それを変えることが可能になる。
自分で創り出した虚像の問題と、本当に取り組むべき問題を明確に区別することが、最初の一歩となる。
私たちはもう少し賢く生きてもいいのではないだろうか。
わざわざ問題を創り出して苦しむ人生は、決して誇らしいものではない。
自分が本当に大切にしたいものにエネルギーを注ぎ込み、それ以外は無駄な心配をしない。難しく考える必要などどこにもないのだ。
最後に、肝に銘じてほしいのは、「悩みの90%は幻想だ」ということだ。
あなたが今抱えている悩みの大半は、実際には起こらないか、もしくは解決する価値さえない。
あなたが取り組むべきは残りの10%、つまり本当にあなたを成長させ、人生を豊かにする可能性を秘めた悩みだけである。
さあ、自ら創造した悩みの呪縛から抜け出して、本当に大切なものを見極める目を養おう。
その瞬間から、人生は劇的にシンプルに、そして力強くなっていくはずだ。