2025.01.18ブログ:Yoshiizumiの部屋
腐りかけるほどではない。
こんにちは、吉泉 晶です。
本日は、思考を変えて・・・
近頃、ふと自分の感覚に向き合う瞬間が増えた気がする。
それは忙しい日々の合間に訪れる、ほんの少しの「余白」。
たとえば、カフェの窓際でぼんやり外を眺める時間だったり、夜中にふと目が覚めて枕元の本を手に取る時間だったりする。
その余白の中で、私は自分自身を冷静に見つめ、時には小さな違和感を抱くことがある。
「腐りかけているのではないか」と。
でも、すぐに気づく。
いや、腐りかけるほどには至っていない。どこかで立ち止まる自分がいる。
あるいは、立ち止まるきっかけを与えてくれる人や環境が、これまでの人生の中で私を支えてくれたのだろう。
だから、なんとか持ちこたえている。
自分がそうであるように、きっと多くの人も、腐り切る前に立ち止まる瞬間を持っているのではないかと思う。
「腐る」という言葉には、ネガティブなイメージが付きまとう。
食べ物が腐る、心が腐る、人間関係が腐る……。
でも、実際に腐り始めるその瞬間を思い返してみると、腐敗のプロセスは突然訪れるものではない。
最初は些細な傷みから始まる。ほんの小さなカビ、微かな臭い、それがやがて全体に広がる。
人の心もきっと同じだ。疲れやストレス、言葉にならない苛立ち。
それが少しずつ積み重なり、気づけば自分自身を蝕んでいる。
ただ、それでも希望があるのは、「腐りかけるほどではない」と思える瞬間があるということだ。
それは、自分の状態を客観的に見つめ、危機感を覚え、そこから何とか立ち直ろうとする小さな意志の現れだと思う。
最近、職場でこんな会話があった。
「なんか最近、みんなピリピリしてない?」「そうだね、でも忙しいから仕方ないよね」。
そのとき、ふと感じた。忙しさは人を腐らせる最大の原因かもしれないと。
忙しいとき、私たちは自分の感情や周囲の状況に目を向ける余裕を失う。
結果として、自分自身の心の中で小さな「傷み」に気づかなくなるのだ。
でも、本当にそれで仕方ないのだろうか?
忙しい中でも、自分の心に問いかける時間を持つことはできるのではないだろうか。
たとえば、仕事の合間に深呼吸をする、夜の散歩を楽しむ、友人と笑い合う。
そんな小さなリフレッシュの積み重ねが、「腐りかける前」に私たちを救ってくれるのではないかと思う。
私はまだ腐りきっていないし、腐りかけるほどでもない。
でも、それは周囲の環境や人々のおかげであることを忘れてはならないと思う。
家族、友人、同僚、そして何気なく訪れる風景や音楽、香り。そうしたものが私を支え、少しずつ癒してくれている。
だから、これを読んでいる誰かにも伝えたい。
もしあなたが「腐りかけている」と感じているのなら、まず立ち止まってみてほしい。
そして、自分の中の小さな違和感に耳を傾けてみてほしい。それは、あなたがまだ自分を大切にできる証拠だと思う。
腐りかけるほどではない、その境目にいる私たちは、きっとまだやり直せる。
いや、やり直す力をちゃんと持っている。
立ち止まる勇気を持ち、その小さなサインを見逃さないこと。それが、私たちが心地よく生きるための最初の一歩なのだと思う。
今日も一日、私は「腐りかけるほどではない」と感じる自分に感謝しながら、また一歩を踏み出していきましょう。
また、ポエムします!
次の一手を考えよう!