2015.12.28ブログ:Yoshiizumiの部屋
批判への恐怖心
2016年の干支は、申(さる)
あまりにも有名な「三猿」で、皆様ご存知
見ざる、言わざる、聞かざる
意味としては・・・
よくよく調べたところ
「ざる」は打ち消しの助動詞「ず(ざり)」の連体形で、心を惑わすようなものは、見ない、聞かない、言わないという意味
それと両目、両耳、両口をおおった三匹の猿をかたどった「三猿」と掛けて、「見猿聞か猿言わ猿」とも当てられる。
「見ざる言わざる聞かざる」の順でも言い、日光東照宮の「三猿」も「見ざる言わざる聞かざる」の順番で並んでいる。
見聞きは受動的、言うことは能動的であり、見聞きすることと言うことは分けられるため、
正式な順番は「見ざる聞かざる言わざる」と考えられるが、「見ざる言わざる聞かざる」の順番が間違いということはない
ということです
勉強になりました・・・
今日は、批判への恐怖でした
モノづくりの世界に「君は批判する側か、それとも何かをつくり上げる側か」という言葉があります
どんなことであっても、何かを成し遂げる、続けるというのは大変なことです。
この言葉の意味は、「自分で努力せず、他人を評価かすらしない批判者に価値はない」ということ
そんな人になるな!と言っている言葉です。
どうしても、人の評判って気になりませんか?
批判する人って何を思って批判してしまうのでしょう?
ある人は言ってます
「虚栄心の強い人は他人が自分についてどう考えるかを非常に気にするもの」と
なるほどと思いました。
虚栄心の裏側には、強い劣等感が潜んでいます
なので、他人の価値を認めることをあたかも自分が侮辱されたかのように感じてしまいます
ひとは、自分自身を守りたいと思っているので、「言われたら嫌だ!」と感じてしまっているのかもしれません
強い言葉を話す人、トゲがあるような話し方をしてしまう人も、根っこは同じかもしれません
仕事をして怒られたら・・・ そんなことを思って仕事をしていたら、「怒られないように」と思って仕事をするしかありません
人と比べたり、一緒になって悪口を言っていたり・・・・
私は、そういう人たちを「羊の群れ」と言っています
批判、悪口を言っている時、自分で鏡を見れますか?
きっと見れないですよね
一生懸命やって
批判、悪口を言われている人、好いじゃないですか!
言われるからやめる
ではなく
いわれてなんぼです。
他人の価値を認めたからと言って、自分の価値が下がるわけではありません
でも、誇るものを持たず、自身がないにも関わらず、虚栄心だけが強い人にとっては、他人の価値を認めるのは難しいことです
だから、自分は、「言わない、聞かない、同調しない」