2025.10.24未分類
暇人その2 ─ 時間に愛されし者たちの哲学
暇とは贅沢である
「暇人」と聞くと、何もしていない、怠け者というネガティブな印象を持たれがちだ。
しかし、本当の暇とは、贅沢の極みである。
現代人の多くは、スケジュール帳が真っ黒になるほど多忙で、それを誇りとすら感じている。
だが、暇とは時間に支配されず、心と体が解放されている状態であり、創造と内省の最高の土壌でもある。
生産性から自由になる
「生産性」や「効率性」に囚われる現代の社会では、無目的な時間は軽視される。
しかし、ただぼんやりと空を眺めたり、意味もなく散歩したりする時間の中にこそ、人間らしさが宿っている。
脳は休んでいるように見えて、実はアイデアの種をゆっくりと育てている。
暇は、次なる飛躍のための静かな準備期間でもあるのだ。
暇人が世界を動かす
歴史をひもとけば、暇な時間から偉大な発明や芸術が生まれている。
ニュートンがリンゴを見て万有引力を思いついたのも、ペストで大学が閉鎖され、自宅にいた「暇な時間」だった。
暇でなければ、深く考えることも、想像することも、世界を変えることもできなかったかもしれない。
暇人は、世界の見えない推進力なのだ。
暇人である勇気
暇でいることには、ある種の覚悟が要る。
周囲の目や「何かしていないといけない」という無言の圧力に耐え、自分のペースを貫く強さが必要だ。
人と違うリズムを持つことは、孤独を伴うこともあるが、その分、自分に正直でいられる。
暇人は、社会に流されない個人の象徴でもある。
暇は人を深くする
忙しさの中では、感情も感覚も鈍くなる。逆に暇な時間は、自分の内側をじっくり味わうことを許してくれる。
本を読む、音楽に浸る、空想にふける──それらはすべて、暇であるからこそできる贅沢だ。
暇は、心に奥行きをもたらし、人を深く、やわらかく育ててくれる。

まとめ:暇を愛そう
暇であることを恥じる必要はない。
むしろ、暇を肯定し、味方につけることで、私たちはもっと自由に、もっと人間らしく生きることができる。
暇人であることは、何もしないことではない。何にでもなれる、可能性の泉である。
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