2026.03.09ブログ:Yoshiizumiの部屋
その「正義」は、誰のものか
何が善で、何が悪なのか。 この問いは、時に私たちを強く突き動かし、 時に誰かを傷つける刃にもなります。
アドラーは語ります── 「何より危険なのは、何が善で何が悪であると、中途半端な『正義』を掲げることです。」
正しさが、孤独を生むとき
「私は間違っていない」「あの人が悪い」 その思いの裏には、“孤独な正義”が潜んでいることがあります。
中途半端な正義とは、 「誰かの価値観をそのまま借りている状態」。 あるいは、「その場の空気や感情に乗った判断」。
誰かの基準で戦い、誰かのルールで裁く。 それが続けば、自分の足元が見えなくなります。
「正しさ」より「関係性」
アドラー心理学の根底には、 “人は常に対人関係のなかで生きている”という視点があります。
つまり、どんなに自分が正しくても、 それが他者を否定するものであれば、 “よりよい関係”にはつながらないということです。
大切なのは、「関係性を壊さない正義」。 押しつけるのではなく、共有する。 導くのではなく、共に歩く。
それができて初めて、“正しさ”に意味が生まれます。
「裁く」ことは、最もラクな行為
私たちは、つい人を評価したくなります。
「こうすべきだったのに」「なんであんなことを?」 でもそれは、本当は自分を守るための態度なのかもしれません。
人を裁くことで、自分の居場所を保とうとする。 他者の過ちを指摘することで、 自分の不安を消そうとする。
そういう“正義”ほど、危ういものはありません。
正義の裏に、感情を隠さない
怒っているなら、「悲しい」と言えばいい。 納得できないなら、「怖かった」と言っていい。
正義に仮面をかぶせるより、 感情を正直に語る方が、ずっと勇気がいります。 でも、それがアドラーの言う“共同体感覚”の第一歩。
「正しさ」は人を遠ざけるけど、 「弱さ」は人を引き寄せる。
そのことを、忘れずにいたいです。

まとめ:「正義」が誰かを苦しめていないか
その正しさは、誰かを支えているか。 それとも、黙らせているだけか。
アドラーが言う“危険な正義”とは、 他者を踏み台にしてまで、自分の正しさを証明しようとする姿です。
本当に正しいことは、声高に叫ばなくても伝わる。 優しく語ってこそ、届く。
だからこそ、今こそ問いたい。 あなたの正義は、“誰かの幸せ”につながっているか。
──最後に
自分の信念に迷いそうなときこそ、 他者とつながる“見えない糸”を感じてほしい。
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