2026.01.15ブログ:Yoshiizumiの部屋
責任逃れ
責任逃れという、心の防衛反応
「それは私のせいじゃない」
「私はちゃんとやった」
「悪いのはあの人だ」
こうした言葉は、誰の心の中にもあります。
責任逃れは、ずるさというよりも、傷つかないための反射に近いものです。
人は責められると、自分の価値が否定されたように感じます。
だから、無意識に一歩引いてしまう。
それ自体は、とても自然な反応です。
ただ、その一歩が重なっていくと、
いつの間にか人生から「自分の場所」が消えていきます。
責任を手放すと、世界が他人事になる
責任から距離を取ると、
物事は安全になりますが、同時に遠くなります。
「自分には関係ない」と思った瞬間、
その出来事はもう“自分の物語”ではなくなる。
誰かが怒られている
誰かが困っている
誰かが失敗している
それを眺めるだけの立場になると、
心は守られますが、世界の手触りが薄くなっていきます。
手触りが戻る瞬間
責任を引き受けるというのは、
正解を出すことでも、完璧にやることでもありません。
「これは私の関わることだ」
そう認めること。
うまくいかなかったときに
「もう知らない」と席を立たず、
「じゃあ次どうしようか」と、その場に残ること。
それだけで、
人生はまた自分の指先に戻ってきます。
失敗の痛みも、
少しの誇らしさも、
ちゃんと“自分の感覚”として感じられるようになる。
それが、手触りが戻るということです。
責任とは、背負うことではなく、触れること
責任という言葉には、重たいイメージがあります。
でも本当は、責任とは罰ではなく、接点です。
世界に触れること。
人に触れること。
自分の選択に触れること。
責任逃れを続けていると、
痛みは減るかもしれません。
でも同時に、喜びも、納得も、意味も減っていきます。
人は、何かに関わっているときにしか、
「生きている感じ」を持てないのです。
まとめ
責任逃れは、心を守るための反応です。
でも、そのまま続けると、
人生の手触りまで手放してしまいます。
完璧である必要はありません。
ただ、そこにとどまること。
「これは自分の出来事だ」と認めること。
それだけで、世界はもう一度、
自分の指先に戻ってきます。
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