2025.12.04ブログ:Yoshiizumiの部屋
意地を張っても、独りにならなければ整っていける
「意地」とは、自分を守る最後の壁
人間は、弱い生き物です。
でも、その弱さを誰かに知られるのが何より怖い。
だからつい、笑ってごまかしたり、何でもないふりをしてしまったりする。
時には「私は大丈夫」「迷惑なんてかけていない」と言い張って、意地を張る。
その“意地”の正体はなんでしょうか。
それは、心が必死に自分を守ろうとしている最後の壁かもしれません。
助けを求めたら、迷惑になるんじゃないか。
頼ったら、軽く見られるんじゃないか。
そんな不安を見透かされたくなくて、私たちは一人で立っているふりをするのです。
でも、その壁の内側では、本当の自分が小さくうずくまって泣いている。
そんなときこそ、自分に問いかけてほしいのです。
「意地を張っている私は、本当は誰に気づいてほしいのか?」と。
弱さを見せた瞬間、人は少し楽になる
意地を張り続けることは、長い目で見れば自分をすり減らす作業です。
気づかれない努力、気づかれない苦しみほど、しんどいものはありません。
それでも人に頼るのが怖いのは、過去に傷ついた記憶があるからでしょう。
でも、ちょっと想像してみてください。
大切な人があなたの前で、「実はしんどいんだ」と話してくれたら、どう感じますか?
きっと、「頼ってくれてありがとう」と思いませんか?
「何もしてあげられなくても、そばにはいたい」と思いませんか?
それと同じように、あなたが弱さを見せることで、誰かとの関係は“本当のもの”に変わっていくのです。
意地を張らない姿を見せるのは、負けることじゃありません。
むしろ、それは「信じている」からこそできる強さです。
「整える」とは、完璧になることではない
本書『ポンコツなままで整う』でも繰り返し語っていますが、整うという言葉は、何かが完璧に片付くことではありません。
部屋の掃除も、心の整理も、日々の生活も、常に「途中」でいいのです。
疲れたら休む。迷ったら立ち止まる。感情が乱れたら、深呼吸して待つ。
そんな“ポンコツ”な自分を許して、優しく扱ってあげること。
それこそが、本当の意味で「整える」ということなのです。
意地を張って、頑張りすぎて、いっぱいいっぱいになってしまう人ほど、「自分を整えよう」と思いがちです。
でも、整えることは、心を鍛え直すことではなく、今の心をほぐすことです。
ピンと張りつめた心は、少しずつ緩めてあげた方がいい。
意地があるからこそ、丁寧に自分を扱っていく必要があるのです。
意地の裏には「本当はこうしたい」がある
意地を張る人は、本当はとても優しい人です。
人の手を煩わせたくない、余計な心配をかけたくない。
でもその「気づかい」は、いつしか「孤独」という名前に変わってしまうことがあります。
意地の裏には、きっとこういう声が隠れています。
「もっと素直に話したい」
「本当は頼ってみたい」
「一人じゃないって感じたい」
その声を無視しないであげてください。
“意地”は、あなたの中の本音を守ってきた最後の盾かもしれません。
でも、その盾を少しだけ下ろしてみると、周囲の人たちは思いのほか優しく、あたたかいことに気づくかもしれません。
一人で完結しないことが、生きる力になる
意地を張るというのは、突き詰めれば「一人で完結しようとする力」です。
でも、人生はそもそも、完結しないものです。
誰かに手を引かれ、誰かの一言に支えられ、誰かの笑顔で救われる。
「自分だけで何とかしなくていい」
この一言が、人を大きく変えることがあります。
本当の意味で整っている人は、上手に人に頼れる人です。
弱音も、意地も、ぐちゃぐちゃな本音も、誰かと一緒に受け止められる人です。
だからこそ、自分にも他人にも、少しだけ優しくなれるのだと思います。
まとめ
意地を張ってもいい。むしろ、それはあなたが懸命に立ってきた証です。
でも、意地を張ることで大切なものから遠ざかってしまうなら、そろそろその盾を少しだけゆるめてみませんか?
完璧じゃなくていい。ポンコツなままで大丈夫。
そのままの自分で、整っていける方法があります。
それを知ることが、人生を少しずつ軽く、楽にしてくれるはずです。
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