2025.08.12ブログ:Yoshiizumiの部屋
生と死を、あの日から考えはじめた──JAL123便墜落事故が教えてくれたこと
8月12日。
この日になると、どうしても静かになる。
1985年に起きたJAL123便墜落事故。
520名が亡くなり、わずか4名が生還した、日本航空史上最悪の航空事故。
最初にこの事故の書籍を読んだとき、
自分の「生きること」と「死ぬこと」に対する見方が、がらっと変わった。
単に“怖い話”でも、“過去の悲劇”でもない。
「明日、自分が死んでもおかしくない」
そういう、恐ろしくもまっすぐな現実を突きつけられた。
1. 人は、ほんとうに一瞬でいなくなる。
事故の詳細を知るたび、
「人は、こんなにも突然、いなくなるのか」と思った。
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ついさっき笑っていた人が、数分後にはいない
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「また明日ね」と言ったまま、もう会えない
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家族のために持っていたお土産だけが、ぽつんと残る
それまでの自分は、
“死”というものが、どこか遠い話だと思っていた。
でもJAL123便の記録に触れたとき、
“死”が「日常のすぐ隣」にあることを知ってしまった。
2. 「今日」という時間が、永遠に続くとは限らない。
JAL123便の中にいた人たちは、
その朝、まさか自分が“この日で終わる”とは思っていなかったはずだ。
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「帰ったら家族とご飯を食べる」
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「明日から出張が始まる」
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「仕事がひと段落したら、旅行に行こう」
……そんな日常の延長線上にいたはずの人たちが、突然命を奪われた。
それを知ってから、
「明日もある」と思い込むことが、ちょっと怖くなった。
3. 「何を残すか」が、「どう生きるか」になっていった。
この事故に関する書籍の中には、
実際に書かれた“遺書”の記録も載っていた。
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シートの裏に、ペンで書かれた家族へのメッセージ
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機内で娘にあてた、震える文字の「愛してる」
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携帯も何もない中、最後に残そうとした「気持ち」の形
人は死の間際に、“お金”も“評価”も“地位”も持っていけない。
残るのは、“誰かへの想い”だけなんだとわかった。
それから、自分もこう思うようになった。
「いま、自分がいなくなったら、
何を残しておきたいだろう?」
4. 「自分はまだ生きている」が、背筋を伸ばす力になる。
あの日、JAL123便に乗っていなかった自分。
まだ生きている自分。
家族に会える自分。
言葉を届けられる自分。
それって、当たり前じゃなかった。
無事に起きて、朝ごはんを食べて、仕事に行けることが、
ものすごく尊いことなんだって、
あの日以降、ふと思い出すようになった。
毎年、8月12日が近づくと、
「よし、ちゃんと生きよう」と思える。
それは“反省”じゃなくて、“覚悟”のような感覚。
5. 「命の最後に残るのは、関係性」だと知った。
事故の遺族たちの証言には、
時間が止まったままの“想い”が詰まっている。
「どうして、もっと優しくできなかったんだろう」
「ちゃんと感謝を伝えていればよかった」
「最後に交わした言葉が、怒鳴り声だった」
そういう“取り返しのつかない気持ち”は、
遺された人の心に、ずっと残る。
だから、いま生きている自分たちができることは──
“悔いのない関係性”を、ちゃんと積み重ねていくこと。
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ごめんとありがとうを言う
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話しかけられたら顔を向ける
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なんとなく連絡を絶ってる人に、勇気を出して手紙を書く
それが、生きている私たちにできる、最大の追悼かもしれない。

まとめ:だから、今日を、ちゃんと生きる。
JAL123便の事故は、悲劇としてだけでは終わらない。
それは、いまを生きる私たちに問いかけてくる。
「あなたは、どう生きて、どう伝えて、何を遺しますか?」
死は、すぐそばにある。
でもそれは、「生をまっすぐ生きること」を教えてくれる先生でもある。
今日、まだ生きている自分へ。
その手で、誰かの背中をそっと支えられるように。
その言葉で、「いまここ」をちゃんと手渡せるように。
あの日を忘れない人たちとともに、
私も、今日を選び続けたいと思います。
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