2025.06.25ブログ:Yoshiizumiの部屋
外に媚び、内を脅かすものは――天下の賊なり
ある日、ふと目にした吉田松陰の言葉。
「外に媚びて内を脅かす者は、天下の賊なり。」
その一文が、まるで胸ぐらを掴むように、静かに、しかし確実に私の中に突き刺さりました。
これって──ただの歴史の言葉じゃない。
いま、私たちが生きるこの日常、職場、家庭、組織の中で、
確かに起きている“静かな崩壊”を突いているのではないかと思ったのです。
「外」ばかりを意識して、評価ばかりを気にして、「内」をおろそかにしてしまうこと。
私たちは、気づかぬうちに、「天下の賊」を、自ら育ててはいないでしょうか。
外に媚びるとは、なにか?
「媚びる」という言葉には、どこか卑屈さや小賢しさが滲みます。
でも実際には、それはもっと静かで巧妙に進行します。
たとえば──
- 評価者の目を意識して、本当に必要な支援よりも“成果が見えるもの”を優先する
- 利用者の本当の声よりも、数字や実績を重視して「都合のいい話」だけを拾い上げる
- チームの中で違和感を飲み込み、“波風立てぬ空気”を守ることで、結果として誰かを置き去りにする
私たちが“何を大切にしているのか”を見失う時、それはすでに「媚び」の第一歩です。
内を脅かすとは、なにか?
人は、言葉を失うと、心を閉じます。
本来あったはずの「信頼」や「尊重」は、評価基準や制度的圧力の前に霞んでいく。
- 自分の意見を口にすれば「和を乱す」と思われるかもしれない
- 「言っても変わらない」と諦めることで、発言そのものをやめてしまう
- 職場に漂う“察する文化”が、誰かの沈黙を正当化してしまう
こうして、内側が“空っぽ”になるのです。
声のない組織は、心のない建物と同じ。どんなに立派な看板があっても、内側が壊れていれば意味がないのです。
天下の賊は、外にあらず
「天下の賊」とは、決して外部の敵ではありません。
それは、私たち自身の中にある“無関心”であり、“諦め”であり、“逃避”です。
- 「このくらいでいいか」と思ったとき
- 「自分ひとりが声をあげても変わらない」と思ったとき
- 「誰かがやってくれるだろう」と手を引いたとき
その一歩一歩が、「内」をじわじわと侵食していくのです。
吉田松陰が告げたのは、国家や社会の話ではなく、自分自身の「誠実」への問いかけだったのではないかと思うのです。
評価より、誠実を選べ
本当は、私たちはもう知っているのです。
目の前の人が困っていたら、制度よりも心で寄り添うことが大切だと。
数字より、まなざしや時間の方が力を持つ場面があることを。
でも、それを「やらない理由」は山ほど用意できてしまう。
だからこそ、選ばなければならないのは、“誠実”です。
それは、時にまわりと衝突するかもしれない。でも、誰かを守るためには、傷を負う覚悟が必要です。
評価に「自分」を売り渡すような日々を、そろそろ終わりにしたい。
まとめ:問いとともに生きる
- 外に媚びると、いつの間にか、自分の軸が奪われる
- 内を脅かすと、信頼と安心が根こそぎ消えていく
- 小さな違和感を放置せず、声にする勇気をもつこと
- 誠実さを選ぶ。それは“正しさ”ではなく“関係性”を守る行動

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言葉の力は、問いを生むところに宿る。
誰かの背中を押す一言を──
自分の「内」を守る問いを──
あきら語録とともに、これからも。
