2025.06.14ブログ:Yoshiizumiの部屋
「わたし、自信がないんです…」──その言葉の奥にあるもの
「自信がない」と口にする人は多い。けれど、ときどき耳にするのが、
「わたし、自身がないんです…」
という言い間違いだ。
これは、文法的には誤用だ。けれど、私はこの言い間違いに、 その人の“本音”がにじみ出ているように感じるのだ。
「自信」と「自身」は、似て非なる言葉
「自信」とは、自分を信じる気持ちのこと。 「自身」とは、自分そのもの、つまり存在のこと。
言い換えると、
- 自信:心の状態や気持ち(信じられるかどうか)
- 自身:立場や存在そのもの(いるかいないか)
だから「わたし、自身がないんです」は本来、「わたし、存在してないんです」という意味になってしまう。だけど、
この言い間違いが生まれる背景には、 「自分そのものに価値を感じられない」という思いがあるのではないかと思う。
自分を信じる前に、自分を見失っている感覚
「自信がない」──その言葉には、 「努力が足りない」「経験がない」「怖い」など、いろんな理由が込められている。
でも、「自身がない」と言ってしまう人は、 それ以前に、「自分って誰なんだろう?」「自分はいてもいいのだろうか?」 とすら、
迷っているのかもしれない。
それって、すごくしんどい状態だ。
わたしにとっての「自信」とは
私自身、何度も「自信がない」と思ったことがある。 でも、そのたびに思い出すのは、
「自信って、自分の中にあるんじゃなくて、“経験”の中にあるんだ」ということ。
「書けた」 「伝わった」 「ありがとうと言われた」
そんな日々の積み重ねが、自信を育てていく。
ふにゃふにゃでも、自信はついてくる
Kindle本『頑張らないって、戦略です。──生きづらい私の、ゆるい生存術』にも書いた。
自信は、根性じゃない。 継続と、ゆるやかな前進。 「これならできるかも」を、積み重ねた先にある。
自信は、誰かに「ある」と証明してもらうものではなく、 「これでいい」と、自分の中で納得するもの。
自分を“信じる”というよりも、 「今ここに、ちゃんと“在る”」ということを認めること。
そのためには、
- 人に認められなくても、まず自分でOKを出す
- 他人と比較せず、自分のペースで進む
- 時々、ふにゃふにゃしてもいい
そんな“脱力系”の生存戦略も、十分にアリなんだ。
SUZURIでも「ゆる哲」Tシャツ、出てます
自信がない日でも、哲学的に問い直す。 そんな気持ちを込めて、「猫×金魚×哲学」シリーズでSUZURIにてグッズ展開中。
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「わたし、自信ないな…」って朝も、 “この哲学Tシャツを着ると、なんか元気出る”を目指して作っています。
まとめ:間違いから、ほんとうの自分に出会える
「わたし、自身がないんです」
この間違いには、
- 存在に対する揺らぎ
- 自分への評価の低さ
- 信じたいけれど、信じきれない心
そんな葛藤が、きっと詰まっている。
でも、だからこそ、 「自分を知る」「自分と向き合う」 第一歩になる言葉でもある。
間違いから始まる気づきは、人生に深さを与える。 その気づきを、そっとすくい上げられるような場所を、 これからも耕していきた
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