2025.06.04ブログ:Yoshiizumiの部屋
話し合いのつもりが、説得になってしまうとき
「わかってほしい」が出てきた瞬間
今日、コミュニケーションに関する講義をした。 テーマは「話し合い」だった。
正解を出すのではなく、互いの思いや視点を共有する時間。 でも、やっぱり出てくる。
「それは違うと思います」 「いや、それは〇〇だから…」
最初は“話し合い”だったはずなのに、 いつのまにか“説得”になっていく。
これ、どこにでもあることだと思う。 職場でも、家庭でも、友人とのやりとりでも。
なぜ、話し合いが「わかってもらいたい戦い」になってしまうんだろう。
話し合い=共感の交換、だったはず
本来、話し合いって「勝ち負け」じゃない。
相手を論破する場でもない。 意見を一致させる必要すらない。
ただ、相手の背景や感じ方を「なるほど、そういう考えなんだ」と受け取って、
自分の中に少しだけその人の“風景”を置いてみる。
それだけで十分だったはずなのに、 「わかってくれなかった」と思った瞬間、 “伝えたい”が“わからせたい”に変わる。
そして空気が、少しだけ硬くなる。
説得じゃなく、接続を目指す
最近よく思うのは、 話し合いって、正解を決めるためじゃない。
「接続」をつくるためのもの。
価値観が違っていてもいい。 納得できなくても、
相手の言葉に「なるほど」と感じられる余白があれば、 それだけで接続はできる。
むしろ、「わかりあえないね」と笑い合えたときの方が、 心の距離が近づいたりする。
話し合いって、“結論”より“余韻”のほうが、ずっと大事なのかもしれない。
「問い」が残る話し合いが、あとから人を動かす
その場では折り合わなかった意見。 まとまらなかった話。
でも、そこで交わされた問いは、時間を置いてから効いてくる。
「自分は、なぜあのとき納得できなかったんだろう?」 「本当は、何を伝えたかったんだろう?」
答えを出さなかった“話し合い”が、 人をあとからじんわり動かすことがある。
だから僕は、答えより問いを残す場にしたいと思っている。
まとめ
「話し合い」と「説得」は、紙一重だ。
伝えたいことがあるときほど、 「わからせたい」になっていないかを問い直す。
意見が違ってもいい。 むしろ、違っていた方が豊かになる。
話し合いとは、相手の視点に立ってみる練習であり、 自分の思考を深めるための鏡でもある。
今日もまた、問いをひとつ持ち帰れるような、 そんな話し合いができる職場でありたいと思う。

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