2025.05.15ブログ:Yoshiizumiの部屋
「届ける、ということ。」
届けるという行為
なにかを届けるというのは、やさしさかもしれないし、祈りかもしれないし、願いかもしれない。
だけど、届けたその先に、なにかを「返してもらおう」と思った瞬間に、それはきっと少しずつ淀んでいく。
そういうものだと思う。
「伝えたい」と思って言葉を綴る。「読んでもらえたら」と願って文章を投げる。
だけど、それが読まれなかったからといって、伝わらなかったわけじゃない。
届けるというのは、一方通行でいいんだ。それで、いいんだと思う。
期待を手放すということ
講話をすることもある。誰かに声をかけることもある。
でも、それが相手の心に届いたかどうかなんて、こちらにはわからない。
わかろうとしすぎると、それは期待になる。
期待がふくらむと、裏切られることが増える。
裏切られたと感じると、やさしさが薄れていく。
だから、わたしは「届けばいいな」くらいでいいと思っている。
いや、正確に言えば、「届かなくても、自分の手から放すことに意味がある」と信じている。
渡すという選択
わたしたちは、毎日、いろんなものを背負って生きている。
言葉にならない想い。気づいてもらえなかった声。期待して裏切られた記憶。
だけど、そういうもの全部を抱えて、それでも「何かを誰かに渡す」という行為は、きっと人間だけができるやさしさだと思う。
「誰かの心に届いてほしい」と思いながら。 でも、「届かなくても、それでも渡したい」と思いながら。
まとめ
届けるというのは、何かを押しつけることではないし、見返りを求めることでもない。
ただ静かに、自分の言葉や想いを放つこと。
返事があってもなくても、それでも自分の中に嘘がなければ、それはきっと届いている。
たとえ誰にも伝わっていないように見えても、「渡すこと」そのものが、自分を生かす行為なのだと思う。

今日、どこかで誰かのもとに、わたしの問いが届いていますように。返事はいらない。
たとえ届かなかったとしても。それでも、渡すことに意味があると、わたしは思っている。
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