2025.04.28ブログ:Yoshiizumiの部屋
合理的ってなに?
──その「正しさ」は、誰のもの?
「もっと合理的に考えなよ」
「それって非効率じゃない?」
「理屈が通らないと納得できない」
そんな言葉を、仕事でもプライベートでもよく耳にする。
でも、そもそも――
合理的って、いったい何なんだろう?
合理性とは、目的があって初めて成立する
「合理的かどうか」は、“目的”とセットでなければ意味をなさない。
たとえば「最短距離でゴールに到達する方法」が合理的だとされるけれど、
その“ゴール”が人によって違えば、合理的なルートもまったく変わってくる。
仕事で言えば、
「とにかく利益を最大化する」が目的なら、
非情な判断やリストラも“合理的”になるかもしれない。
でも、
「チーム全体の幸福度を上げたい」が目的なら、
時間がかかっても、一人ひとりに寄り添うマネジメントが“合理的”になる。
つまり、合理性は中立じゃない。
それは、“何を大切にするか”によって、形を変える生き物だ。
感情と合理性は、矛盾しない
感情的な判断は「非合理」と言われることがある。
でも本当にそうだろうか?
人間は、感情を持つ生き物だ。
その感情に支えられてこそ、意思決定の本気度が生まれる。
誰かの涙に動かされて、予定を変更した。
昔の苦い経験から、今回だけは慎重に進めた。
それって、“感情に流された”んじゃなくて、
「自分の中の納得」に従った結果。
合理性とは、「無感情な正しさ」ではない。
感情を含んだ上で、“最も納得できる選択”ができている状態こそ、本質的な合理性なんじゃないかと思う。
「みんなに合わせること」が合理的だとは限らない
組織において、「みんなに合わせて行動すること」が求められる場面は多い。
だけど、それがいつも合理的とは限らない。
本当は違和感があるのに、空気を読んで流された結果――
後々、トラブルや歪みが生まれてくる。
そんなケース、よく見てきた。
その場を丸く収めることと、長期的な健全性は違う。
だからこそ、たとえ“空気を乱す”ことになっても、
自分が「おかしい」と感じたら、立ち止まって問い直す。
それは“わがまま”じゃない。
むしろ、組織の未来のための合理的な行動だと、私は思う。
自分にとっての“合理性”を、自分の言葉で決めよう
「世間の正しさ」や「上司の期待」に従ってばかりだと、
いつのまにか、自分が何を大事にしてたのかわからなくなる。
だから私は、こう考えている。
合理的かどうかを決めるのは、自分。
「自分にとっての正しさ」がブレていなければ、それはもう立派な合理性。
他人の視線じゃなくて、
自分の価値観と未来の自分の笑顔を、
ちゃんと見据えて選べているか。
それだけを軸にして、生きていきたい。
まとめ:合理的という言葉に、振り回されないで
合理的っていう言葉は、ときに人を傷つける。
「もっと考えろ」
「そんなの非効率」
「甘い」
でも、誰かにとっての非合理が、
あなたにとっての“誠実”であることもある。
大切なのは、
「何のために、その選択をしたのか」
「その選択が、誰かを大切にすることに繋がっているか」
“損して得とれ”は、時代遅れじゃない。
それは人間として、誇るべき合理性だ。
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あなたの「合理」が、あなたらしく輝きますように。
それが、誰かの勇気にもつながりますように。
