2016.01.27ブログ:Yoshiizumiの部屋
自分で考えることが・・・
子どものころは、カエルを捕まえに自転車で出かけていました
オタマジャクシやゲンゴロウなど・・・、ドジョウも捕まえて、大き目の樽のようなもので飼っていました
もう昔々の話なので、記憶には「いつの間にかいなくなっていた」です
吉泉 晶です。
子どものころ触れたカエルも
大人になると触れなくなるものです・・・
子どもは純粋といいますが、無邪気です
年齢を重ねると、体験が増え、いろいろ選別できる能力がつきます
子どもは、挑戦します
大人になると、自信がなくなります・・・
イソップ童話大好きです!
「王様を欲しがったカエル」という物語知っていますか?
森の中の小さな沼に、カエルたちは自分たちをまとめてくれる多様がいないことを悲しみ
「私たちに王様を与えてください」と神様にお願いしました。
神様はそれを聞いて、沼の上に一本の棒を落としました。
カエルたちは、ただ沼の上に浮いているだけで自分たちに命令したり、指示したりしない王様を不満に思いました。
そして、「神様お願いです。私たちに、もっと強い王様を与えてください」とお願いをしました。
それを聞いた神様は、今度はヘビを沼へ落としました。
カエルたちが望んだ新しい王様は、彼らを一匹残らず食べてしまいました。
というお話です。
強いリーダーシップを求める人を望むのは、昔から私たちの世界にありました。
「国民が貧乏なのは、国のリーダーのせいで政治家のせいだ」
そういう人たちは、力のない国民だということを理由に、考えることを放棄し、
誰かが自分たちの生活を豊かにしてくれることを待っているだけなのです
働く人も同じ、会社がダメだ
夫がダメだ、妻がダメだ・・・
上司が・・・部下が・・・
ドイツでは、ヒットラーが指揮を執っていた時代
ユダヤ人が大量虐殺されました。
ヒットラーは、ユダヤ人に対する嫉妬心から「ユダヤ人は、汚い方法で商売をして、私たちの財産を奪っている」と叫びました
ドイツ国民は、その話を鵜呑みにし、ヒットラーこそ強いリーダーシップを持っているヒーローだと思い、全てをゆだねてしまったのです。
カエルたちも同じです
自分たちを導いてくれる強い王様が必要だったのであれば、神様に頼らず、自分たちが自ら考えて、行動に移すべきではなかったのでしょうか?
陰で悪口を言いうひとがいます。群がっていても結局は、「よし!良くしていこう!」という行動は生まれないのです
「あの人が」「あの人さえ」
これも同じです。
そんなことでは、不幸のスパイラルにはまるだけです。
自分がラクになりたかったら、どんどん挑戦して失敗すればいいだけです
結果の見えない先の不安ばかりを考え、「誰かがやってくれないと」と思っているのは、時間の無駄です
どんどん失敗し、リトライをくり返せばいいのです
そういう姿が、感動を与えていくのです。
結果的に成功!
人生は9敗1勝!
今日から、小さなことでも、挑戦し
自分自身に「ナイストライ!」と言ってみてください!